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加齢という因子が病気を発症させたり、進行させたりするものも決して少なくありません。
さて、病気は落ち着いているが後遣障害を遣している場合、上に挙げたような慢性病との付き合い方の上手、下手が、その人の人生を大きく左右します。もし、眼が快適だった以前の状態を執勧に求め続ければ、それは決して叶わない望みなので、その人の人生はす病気のとらえ方は、病気の進行に影響するのではないか、と私はにらんでいます。
たとえば、おおざっぱで、適当で、人の眼を気にせず、空気を読まない自由気ままの人は、うつ病になりにくいと言います。逆に、おそらく日本人にはとても多いのではないかと思われるのが、生真面目で、凡帳面で、責任感が強くて、仕事熱心で完壁主義という、企業から見れば是非来てもらいたいような性格の人。
こういうタイプにうつ病が多く見られます。こういう人は、既に述べたように、過剰な交感神経刺激状態が続くので、うつ病のみならず、心と身体の不調が生じやすくなることは、当然でしょう。
そして、そうした人たちは、たいてい真面目一辺倒でそれによって成功もしてきているので、一直線に進むのは上手ですが、不意につくと身の処し方に困惑することがあるのです。いわば、ストレス耐性が乏しいというべきでしょう。
だから眼や視覚の不快な症状がそういう人に出ると、それほど重篤でなくてもその不快ここで唾この治療を受けるに至ったということは眼発作を繰り返し、従来の治療では甚だ不十分なため、この治療に切り替えざるを得なかった。ふたりの50代男性のベーチェット病患者さんのことを取り上げてみようと思います。
仮にYさんとUさんということにしましょう。ふたりとも2年ほど前にこの病気にかかり、その後の眼発作の頻度や重症度は同じようなものでしたが、病気に対する姿勢が著しく対比的でした。
Yさんの方は、一流企業に勤めるサラリーマンで、結婚して3年後にこの病気にかかりました。間もなく子供が生まれるという幸せな家庭をお持ちのように見えました。
もともと、凡帳面な性格で、仕事はよくでき同期でもホープと言われる存在でした。ところが、この病気にかかってから、しばらく病院を転々とするようになります。
説明が不十分、話を聞いてもらえないなどと医者に対する不満がいっぱいで、当院にやってきてからも、よく予約日以外にも臨時診察を申し込んでいました。診察室には眉間に雛を寄せて不機嫌な様子で入って来られます。
病気が心配で心配で仕方なく、眼の僅かな変調だけでなく、熱が出た、腰が痛い、吹き出物が増えた、口内炎が治らないといった身体の問題(これもベーチェット病の特徴)があると、私のところへ「大丈夫か」と言ってやってきます。それだけではありません。
週に何回も電話で問い合わせがあり、相談電話係の看護師たちも、すぐに彼の名前を覚えてしまいました。間もなく休職することになるのですが、会社へ提出する診断書には「絶対ベーチェット病と書かないでください」と言うものですから、「再発性ぶどう膜炎」と私は書きました。
これも正しい診断名です。治療に抵抗して、眼発作を繰り返し、次第に視機能が低下してきますと、こんな状態では復職できない、しっかり治療して早く治してくれと頑なに要求し続けます。
慢性の難病だということを私はいつも説明していますし、本人もインターネットやいろいろな資料で勉強してこの病気の正体を知っているはずなのに、診察室では「治してくれ」の一点張りです。ベーチェット病という厄介な病気があります。
この病気は皮層、粘膜、眼球などに炎症を繰り返す日本人の比較的若い男性に起こりやすい病気で、中でも、眼球の網膜血管やぶどう膜に繰り返し炎症を起こします(眼発作)。炎症を起こす毎に視機能も低下してゆき、続発緑内障(本来は緑内障でなかったものが、他の眼の異常が要因でニ次的に緑内障になったものをさす)のような合併も生じやすくなるため、厚生労働省の難病に指定されています。
治療、とくに眼発作予防にいろいろな薬が使われてきましたが、数年前から従来の治療法では制御できない例に対して、新薬が出現しました。最初は1週間、2週間おきに点滴投与を行い、落ちついてきたら8週間に1回の点滴をする治療です。
家でも荒れることが多いようで、付き添いの奥様も段々暗い、沈んだ表情になってきて、ほとんど口を開きません。奥様がなにか言おうとするとYさんはそれを制して、「外に出ていてくれ」と言うのです。
私はそれを見て、「余計なお世話かもしれないが、協力者、支援者は大事にしておいた方がいい」と助言しましたが、耳を貸しません。やがて、奥様は実家に戻ってしまったらしく、病院には実父と来るようになりましたが、そのお父さんも彼の扱いにはとても困っているようでした。
その後、新薬を導入してから、明らかに発作回数が減少し、体調も改善したらしく「復職できるかもしれない」という言葉さえ本人から聞かれるようになりましたが、治療1年「新薬が効けばこんなことにはならなかったのに……」と不平を言うばかりです。間もなく、足に運動障害が出現し、神経ベーチェットと言われる中枢神経系への合併症が起こってきたため、大学の神経内科に転科したのでした。
一方のUさんは、当初はYさんと同じような経過を辿っていましたが、暗い表情を見せることは滅多になく、調子の悪い日でも、「こんにちは」と笑顔で診察室に入ってきます。学校の事務部に勤務しており、眼発作の繰り返しで片眼の視力がほとんどなくなってしまってからはルーペを使って仕事を続けていました。
職場では、周囲の方々の理解やUさんへの支援体制も良いようです。これも、Uさんの明るさ、人柄のなせる業で新薬導入で、やはり発作回数が減りましたが、Yさんと同じ時期に大きな眼発作を起こし、見えるほうの眼の網膜の中心部に円孔(丸い穴)ができて、視力が下がってしまいました。
私のほうがこれは厳しい状態と、少々落ち込んでいるのに、Uさんは「炎症が半後に生じた眼発作が大きかったため、「この薬もだめじゃないか」と、すっかり落ち込んでしまいました。心療内科への受診も勧めましたが、処方された抗不安薬が全然効かなければ復活してくると思いますからと楽天的で、むしろ私を慰めてくれるほどなのです。
その後、確かに復活してきて、不自由ながらも仕事が続けられる状態にあります。YさんとUさんは、病気のスタート地点では、ほとんど同じような病勢で、重症度も似たようなものでした。
しかし、その後の経過は、Yさんはさらに重篤化し、Uさんは若干は悪化していますが何とか社会生活をこなしてゆける状態です。どうして、こういう差異ができたのかは誰もわからないことですが、ふたりの病気への向き合い方の差も大いに関係しているのではないかと、私は考えています。
つまり、生真面目で完壁主義者のYさんは、病気や視覚障害に正面から対抗し、これを許すことができませんでした。しかし、病気は人間が完全にコントロールできるものではありませんから、段々心身ともに追い詰められ、それでまた悲観的になり、それがさらに悪化因子になるという悪循環に入ってしまったと考えられるのです。
Uさんは、病気との向き合い方が上手でした。発作は起こるが、復活もできるという楽観的な見方をいつも持っていました。
そういう姿勢が家族にも勤務先にも好感を持たれ、いくら手術のリスクや限界を説明されていても、手術をすれば治る、少なくとも改善すると思うのは人情です。よほど厭世的な人でない限り、手術はうまくいくはずがない、手術後はいろいろ合併症状が出るにちがいないと予測して手術に臨む患者さんはまずいない手術がうまくいっているのに不満支援体制が敷かれていったのです。
Uさんなら、万が一視覚障害者になっても、うまく乗り越え、豊穣な社会生活を送ることができるだろうと私は思います。もともとの性格というのが、大きく差配はしますが、ちょっと見方の角度を変えたり、距離を変えてみたりすると、案外もっと真実が見えてきて、行くべき道が開ける可能性があるのだろうと思います。
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